話題を呼んだホアキン・フェニックス主演の映画『ジョーカー』は、犯罪界の道化王子について、今までに見たことのない誕生ストーリーを作り上げてくれた。アーサー・フレックという名前で登場するこの主人公を、フェニックスは精神的な病を抱えながらも、はなからみじめに思われる自分の人生に何らかの意味を見出そうともがいている男として演じている。非常に力強く、激しく、そして心が締めつけられる物語だ。一流の俳優陣により演じられ、監督のトッド・フィリップスによってかつて見たことのない深みまで描かれた本作は、鑑賞した者たちからの絶賛が絶えない。しかし、コミックスのファンにとってのもっとも感心すべきポイントはおそらく、今までの長い歴史で一度も語られてこなかったことが語られている点にあるだろう。すなわち、ジョーカーの誕生秘話が、80年経ってはじめて語られているという点である。
しかし、本当にそうなのだろうか?映画の中での物語がコミックスの物語と必ずしもリンクしているわけではないことは一旦置いておいて、ジョーカーの誕生秘話がいまだに多くの謎に包まれている理由は、ジョーカーに関しては、必ずしも目に見えるものや聞こえるものが事実とは限らないためであろう。『ダークナイト』にてヒース・レジャー演じるジョーカーが、自身の顔の傷ができた背景を話すたびに内容が変わっていたのを覚えているだろうか?もしくは、ドラマ「ゴッサム」におけるヴァレスカ一家の紆余曲折の物語も?アラン・ムーアとブライアン・ボランドの『バットマン:キリングジョーク』(おそらく今作までに作られた物語の中で最もジョーカーの誕生秘話に迫った作品)の中でジョーカー自身が言っていた言葉の通り、彼の過去については「こっちの内容で覚えていることもあるし、あっちの内容で覚えていることもある…俺に過去があるとすれば、それは多肢選択式であってほしいのさ!」
今回の作品は『キリングジョーク』の改作ではないものの、『キリングジョーク』がフィリップスと彼の共同脚本家であるスコット・シルバーに大きく影響を与えたことは間違いないだろう。彼らはアーサーを野心的なスタンドアップ・コメディアンに仕立て上げただけでなく、彼らが作り上げた物語に自ら様々な疑いを散りばめているのだ。すなわち、われわれが本作の中で目の当たりにする物語は事実と異なる可能性がある、ということだ。
フィリップスが言うように、「この物語は、『信頼できない語り手』方式をとった物語だ。しかも、その語り手が他でもないあのジョーカーときた。まさに「信頼できない、『信頼できない語り手』」によって語られている物語、と言ってもいいだろう」
こんな具合なので、演者にとってはかなり挑戦しがいのある難しい役であったことは確かだ。自分の見ているものや信じ込んでいるものが本当なのか分からない状態で、目の前の世界に対してどのように反応すべきなのか?フェニックスの場合、それはアーサーが「本当」だと信じ込んでいる内容が何なのかに焦点を当てることになった。すなわち、本作に最終的に最も影響を与えることになった内容である。
「彼(アーサー)が言っていることが真実なのかが全く分からないんだ」フェニックスは説明する。「彼が言っている内容は、彼自身にとってとてもリアルであることは確かだ。しかし、それが本当に事実であるかと聞かれると、そこは疑問なんだ。それでも、彼にとっては常にそれが現実のように感じられている。だから、どんなシーンであったとしても、彼がそれをリアルに感じている限りは僕も真摯にそれを演じる必要があった。でも結局のところ、その内容が真実かどうかは、映画を観ている人たちにゆだねられている。現実として信じるか信じないかは、観客が決めるのさ」
信じるか信じないか決めることはときには簡単に思われるかもしれないが、たとえばある場面を「これは現実」と決めたとすると、他の場面の信ぴょう性に疑問が湧いてくるものだ。「もし今まで見せられていたものが事実ではなかったなら、今見ているものはどうなのか?」といった具合に。映画『ジョーカー』は超現実的な内容でも、錯覚を起こさせるような物語でもないが、鑑賞する1人ひとりに、個別の解釈を強いる作品であることは間違いない。
「この作品を観て感じることはきっと人によって違うと思うし、それらすべての感じ方は妥当なものだと思うんだ」フェニックスは説明する。「観客が作品に参加しながら登場人物をそれぞれに解釈していかないといけない映画に出演するというのはエキサイティングなことさ。普通であれば、登場人物の動機は明らかになっていることが多いから、観客はどの場面でどんな気持ちになるべきかが分かりやすい。でも、この映画はそうでなくて、本当に観ているお客さん一人ひとりによって解釈が異なってくる。そこが面白いんだ」
ひとつ、是非みなさんの意見を聞きたいのは、アーサーと、彼の隣人であるソフィー・デュモン(演:ザジー・ビーツ)との関係性についてである。ソフィーは良くも悪くも、結果的にアーサーの人生に大きな影響を及ぼすことになるシングルマザーである。
「彼女(ソフィー)も、彼(アーサー)と同じように苦しんでいるの」ビーツは話す。「同じ精神レベルでというわけではないけれどね。でも、彼女は人生においての様々な場面で苦しんでいる。そして、その苦しみという共通点が、彼らの絆を作り上げるベースになったといえるわ。それに加えて、彼女はアーサーが友や伴侶に対して必要に感じているものをすべて持ち合わせているの。彼が必要としている小さな断片を寄せ集めて作られたようなところが彼女にはある。そこが興味深いわ」
私たちが『ジョーカー』の中で目にする内容のほとんどは事実かもしれない…あるいは偽りかもしれない。また、スクリーン上に映し出されるものを必ずしも信じられないのと同じように、私たち自身、アーサーについてどう感じているかも分からなくなるのではないだろうか。果たして、共感しているのか?それとも、恐れているのか?ショックを受けて、恐怖すら感じているのか?恐らくその答えは、そのどれもがちょっとずつ混じっている感情、と言えるかもしれない。そしてそんな感情を抱くことができるのは、フェニックスの素晴らしい演技力によるものだと言ってもいいだろう。フェニックスは様々な難しい役をこなしてきて今の名声があると言えるが、彼がジョーカーを演じたことは間違いなく新たな指標を作ったと言えるだろう。なぜなら、観客がこの犯罪界の道化王子のことをどのように思うかに関係なく、一度見たら二度と忘れることができないキャラクターだからである。
「僕にとって、ホアキンは偉大な俳優の1人だ」フィリップスは振り返る。「俳優が、そのキャラクターにどういったものをもたらすのかを人に説明するのは難しい。観客は演じている彼を見て、スクリーンで見えているもののすべてが脚本に書かれていると思うかもしれないけど、そんなことは絶対にない。ホアキンは自分に与えられた役を、誰もが想像し得なかったような形で完全に自分のものにしてしまえるところがあるんだよ」
自身のキャラクターがとても苦しんでいる瞬間を正反対のように演じなければならないという難しい状況だったにも関わらず、フェニックス自身はかなりその役を演じることを楽しんでいるように見えた、とビーツは感じたそうだ。
「彼(フェニックス)は冒険をするのが好きなの」彼女は続ける。「少なくとも、今回の制作においては、彼は常に新しい発見をしていたわ。彼がジョーカーになると、彼の中に本来的に備わっていた遊び好きの部分というか、生き物が出てくるみたいな感じ。ホアキンは、普通の人であればちょっと距離を置いてしまいがちな役柄に対して、遊び心と同時に人間らしさをたくさん持ち込んでくるの。あの役に、彼自身の魂をたくさん注ぎ込んでいたように感じるわ」
フェニックスの演技によるものなのか、本作が現代社会に対して投げかける挑発的な事柄の数々によるのか、はたまた世界で最も悪名高いコミック誌の悪役の過去の遺産がそうさせているのか、少なくとも『ジョーカー』は一度観たら忘れられない作品であることは確かだ。たとえ、それがジョーカーの誕生秘話と捉えられるか否かは別として。
「この映画の観方は何百通りもある…そして、それをどんな眼鏡越しで見ることになるかは映画を観る観客一人ひとりの今までの経験によって異なるだろう」フィリップスは語る。「だから、この映画を観てどんな風に感じて欲しいかを話すことは、決してできないんだ。とにかく、オープンな心で観てもらって、感じるままに感じてもらえれば」
トッド・フィリップス監督、ホアキン・フェニックス主演の『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』は2024年10月11日(金)劇場公開。詳細はこちら。