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バットマンはウェイン夫妻の死とどう向き合ったのか

マット・リーヴスの『THE BATMAN-ザ・バットマン-』ではウェイン夫妻の殺害シーンは出てこない、と誰もが口をそろえて言う。確かに、ゴッサムの薄暗く照らされた路地に飛び散るパールと発煙銃が映し出されるお馴染みのシーンが登場しないのは新鮮に感じるだろう。しかし、残念ながらこれは事実ではない。ロバート・パティンソン演じるブルース・ウェインは今回もたしかに自分の両親の死を目撃している――ただし、観客が予期しない方法で、である。

リドラーがトーマスとマーサ・ウェインに関するビデオを公開してから、ブルースの世界の捉え方は完全に壊されてしまった。すなわち、彼は自分がずっと抱いてきた「完璧な両親」が殺されるのを目撃してしまったのだ。彼はもう、クライム・アレイで立ちすくむ8歳の少年ではない。それでも、彼は両親に対して抱いていた理想像が破壊されていくのを目の当たりにした。

リドラーのビデオではマーサ・ウェインが数々の精神疾患を抱えていたこと、そしてその事実を暴こうとした記者を殺すためにトーマスがギャングを使ったことが示唆されていた。もし、あなたがトーマスとマーサに関するこの暴露を不愉快に感じたのであれば、それは正しい反応だろう。なぜなら、われわれ視聴者もブルース同様、ウェイン夫妻のことをどこか神格化してきたからだ。何年もの間、われわれは夫妻の姿をブルースの目を通したフラッシュバックでしか見てこなかった。ブルースが両親をあまりにも若いころに亡くしてしまったため、彼の記憶に残る両親はどれも美しい姿だった。アルフレッドも、雇用主であり友である夫妻の話をするときは決まって温かい想い出しか語らなかった。それゆえ、二人の欠点が明るみになることなく、トーマス・ウェインは常に思いやりがあり高潔で、マーサは忍耐強く、親切で、母性溢れる女性であるという印象だけが残った。

『バットマン ビギンズ』では聡明で寛大なトーマス・ウェインの姿があり、『Whatever Happened to the Caped Crusader(原題)』ではマーサ・ウェインはまるで天使のようなスピリチュアル・ガイドとして描かれていた。そのため、この夫妻は幸せな結婚をした理想的な夫婦だと誰もが信じ込まされた。そしてそれゆえに、バットマンシリーズの中での彼らの死はいっそう悲劇的なものであるという印象をファンに与えた。かつて、私はブルースがあまりにも若いうちに両親を亡くしてしまったがゆえに、実際に彼らがどのような人物であったかを知ることができなかったと書いたことがある。8歳ともなれば、確かに両親ととても親しい関係にあるかもしれないが、彼らの願いや夢、苦悩などがすべて分かるわけではないだろうし、欠点も見えてこないだろう。

近年、われわれはマルチバースを通してトーマスとマーサに関して以前よりも深く知ることができるようになった。これによって、彼らをブルースの色眼鏡を通した遠い記憶としてではなく、個々の人物として捉えることができるようになってきたのだ。『Batman: Damned(原題)』では彼らの夫婦生活は完璧とはかけ離れたものであったことが分かったし、ドラマシリーズ「ペニーワース」では喧嘩が絶えない夫婦として描かれている。これらのことから、トーマスとマーサは欠点のある人物であったと言えるのだろうが、それでもそう言い切ることに抵抗を残す。それは、ブルース自身がその事実を受け止めきれていないからだ。

リドラーのビデオを見たことにより、ブルースの世界は粉々に打ち砕かれる。映画では直接的な表現はないものの、ブルースがバットマンになることを選ぶ大きなきっかけが両親にあることは想像に難くない。自分が今までやってきたことはすべて嘘の上に作り上げられてきたものだったのだろうか?ブルースは、自分が両親のことを本当の意味では知らなかったということに気づき、その事実は直視し難いものだった。ロバート・パティンソン演じるブルースがファルコーネに会いにアイスバーグ・ラウンジへ行ったときの顔を思い出してほしい。必死で、困惑しており、あまりにも弱々しい。また、彼がファルコーネのもとへ行ったのは答えを求めるためであったことも考えると、どれほど必死だったかが分かるだろう。

両親に関する暴露はブルースの頭に重くのしかかり、しまいにはそのことしか考えられないまでになった。アルフレッドが昏睡状態から目覚めたとき、ブルースは間髪入れずにこの話を持ち出した。ぶっきらぼうに思われたかもしれないが、ブルースはアルフレッドの気分がどうかを聞く余裕もないくらい、答えを求めるのに必死だったのだ。それほど、リドラーのこの暴露は彼の世界を揺るがしてしまった。幸い、アルフレッドはブルースの動揺を多少は和らげることができた。アルフレッドが明かしたように、トーマス・ウェインはファルコーネに記者の殺害を依頼したわけではなく、単に脅そうとしただけだった。ブルースの父親の選択は道徳的に正しかったかは疑問だが、少なくとも殺人鬼ではなかった。

アルフレッドの弁明で多少は気分が和らいだかもしれない。しかし、事実は変わらない。マーサ・ウェインは施設に収容されていたし、トーマス・ウェインはギャングを使って記者を脅そうとした――たとえ、その記者を殺すつもりはなかったとしても、だ。ブルースは残りの人生、この揺るがない事実を背負って生きていかねばならない。子供の頃、自分の両親のことを十分に知らなかったかもしれないが、皮肉にもリドラーのおかげで、大人になってから夫妻のより細かな人物像が見えてきたのだ。不覚にも、リドラーはバットマンに今までで一番の打撃を与えることに成功したのである。

映画全体を通して、バットマンは市長ドン・ミッチェルの息子に惹きつけられている。これはバットマンが自分自身を彼と重ね合わせているためであることは明らかだ。ブルース同様、ミッチェルの息子は成人する前に、自身の父親を殺害されたという現実と向き合わなければならなくなった――しかも、父の死体を実際に目撃している。ブルース同様、ミッチェルの息子もまたリドラーにより、理想の父親像を破壊されたということに気づいたのは私がこの映画を観返して三度目のことだった。リドラーは、ミッチェル市長を殺害したのち、彼のことを犯罪者と関わりを持ち、妻を裏切っていた汚職政治家として告発しているのだ。

では、ミッチェルの息子はこの暴露にどのように対処したのだろうか?われわれは、似た立場にある、大人であるブルースの世界がどれほど揺るがされたかを目の当たりにしている。ブルースが答えを求めてカーマイン・ファルコーネのもとを訪れている間、ゴッサムのどこかで若きミッチェル少年も恐らく自分なりの方法でこの問題に対処していたことを考えると、とても興味深い。

『THE BATMAN-ザ・バットマン-』の制作が発表された際、「また」ウェイン夫妻が路地裏で銃殺されるのを見る時期が来たと冗談めかしに話されているのを何度も耳にした。この冗談の不謹慎さはさておき、この映画は路地裏の殺害シーンを完全に放棄することで、そのような予想を見事に裏切った。その代わりに、お馴染みのバットマンの物語に新たなひねりを与えたのだ。われわれは過去に放映されてきた多くのバットマン作品を通して、幼い日のブルース・ウェインが両親を殺害される場面を目撃し、それによりトラウマを植え付けられたことを知っている。しかし今度は、大人になったブルースが、自分の両親像が粉々に破壊されてしまうのを目撃する――そして、それによって彼は再びトラウマを植え付けられるのだ。バットマンが初めて世に出てから今年で85周年を迎えるが、人々はいまだに彼の物語に新たな角度を見つけ出す。それゆえ、彼の両親は殺されてしまっても、バットマンは永遠に死ぬことはないのだ。

ライター:ジョシュア・レイピン=ベルトーネ
Xアカウント(英語のみ):@TBUJosh

注釈:この特集で述べられている見解や意見はジョシュア・レイピン=ベルトーネ個人のもので、必ずしもDCエンターテインメント及びワーナーブラザースの見解を反映するものではありません。また今後のDCの見通しを保証または否定するものでもありません。