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バットマンはスーパーマンよりも優れた指導者なのか

スーパーマンとバットマン、スーパーヒーローの指導者として優れているのはどちらなのか。犯罪と戦う手段は全く違うが、指導方法はどうだろう。スーパーマンの思いやりのある性格が、彼をバットマンより優れた指導者にするのか。もしくは、ダークナイトが育てた人数の多さこそが、指導者としての質を表しているのだろうか。私がこんな疑問を抱き始めたのは、マーク・ウェイドによる「Batman/Superman: World’s Finest」の最新のストーリーを読んでからだ。数多くあるバットマンとスーパーマンのチームアップでは、2人の対比が物語の中心になることが多い。価値観の違いから、友情やパートナーとしての関係に溝がうまれるストーリーが何十年にもわたって描かれてきた。この視点を軸とした作品が、2003年に始まったシリーズ「Superman/Batman」で、両者の心の声が個別のナレーションで描写されている。しかし、今回のシリーズでは、いがみ合いのない親友同士、まさにスーパーフレンズからなる世界最高のチームの姿を見せるという違ったアプローチが取られている。

それでありながら、このシリーズではスーパーガールとロビンの存在も大きく取り上げられており、ストーリーをひと味違うものに変える要素となっているのだ。マン・オブ・スティールとダークナイトでは、この2人が若いパートナーたちと接する際の対比が描かれているのだ。さらに、このシリーズの大部分は、ディック・グレイソンがロビンとして活躍し、スーパーマンが父親になる前の過去を舞台に進んでいく点にも注目したい。なかでも驚いたのは、スーパーガールとロビンが一度デートをしていて、散々な結果に終わっていたことだ。

デートの様子は残念ながら割愛されているが、この出来事から多くの疑問が浮かんでくる。ディック・グレイソンの恋模様にはいつも驚かされる。しかし、スーパーガールとロビンの恋は、指導者としてのバットマンとスーパーマンの違いを見るうえでのほどよい導入なのだ。

スーパーガールは「Batman/Superman: World’s Finest #2」で登場するのだが、時間軸としては問題のデートの少し後でロビンとの間には居心地の悪い雰囲気が漂っている。スーパーマンはこの状況に驚いて困惑し、2人の関係を全く知らなかったことをほのめかす。一方のブルースは、2人の恋が終わったことを知っていたのだ。これは「Batman/Superman: World’s Finest #8」のなかで明らかにされている。実際に、バットマンは気まずい関係を終わらせるため、スーパーガールと話し合うようにとロビンに勧める。さらに彼はもう一度デートに誘うようにと、からかってさえもいるのだ。

これは、スーパーガールに対するスーパーマンの理解よりも、ロビンに対するバットマンの理解の方がより確かだという証明になるのだろうか。それも見方のひとつとして間違ってはいないが、クラークにとっては少し不公平だ。第一に、ブルースとディックは同じ屋根の下で生活している。つまり、ダークナイトがボーイ・ワンダーの私生活を把握していてもおかしくないのだ。さらに、バットマンは探偵だ。世界一の名探偵と一緒に暮らしながら、とてつもない力をもった、別の惑星から来たエイリアンの難民とデートすることを隠そうとすることを想像してみてほしい。

ここではクラークをもっと評価すべきだろう。おそらく、クラークはカーラと一定の距離を置き、必要以上に私生活を詮索していないことが分かる。ティーンエイジャーの面倒を見たことがあれば分かるだろうが、一定の距離をおいてこそ信頼されるものだ。

「Batman/Superman: World’s Finest #8」では、カーラの過去に起きた興味深い出来事が再び取り上げられている。ボーイ・サンダー(詳しくは後ほど紹介する)との接し方についてスーパーマンからに相談を持ち掛けられるスーパーガール。その際にカーラの口から出た言葉は「いつでも孤児院に預ければいいじゃない」だった。

このシーンの描写から、怒りがにじみ出ているセリフであることは明らかだ。これは、カーラが初登場した1959年出版の「Action Comics #252」で起きた出来事を指している。スーパーガールが地球に辿り着いた後、スーパーマンは年下のいとこである彼女を孤児院に預けたのだ。現代の感覚で考えればひどい仕打ちだ。家族全員を失い程なくして、見知らぬ世界に一人きりでやって来たことを考慮すればなおさらだろう。

スーパーマンは冷淡な人間ではないし、いとこを故意に傷つけることはない。ただ、彼は考えが足りなかっただけなのだ。バットマンがディック・グレイソンと出会い、彼を受け入れた際、少年を孤児院に入れようとは一切思わなかった(当初バットマンは任務が終わったら、ディックをサーカスに連れ戻すつもりだったことは、念のため記述しておこう)。ここでの明確な違いは、クリプトンが滅亡した際にスーパーマンはまだ赤ん坊で、当時の凄惨な記憶がほとんど無いことだ。それとは対照的に、両親が銃弾に倒れる姿を目にしたバットマンのトラウマは、一生ぬぐえるものではないだろう。

ブルース・ウェインはディック・グレイソンに出会った際、少年が置かれている状況を正確に理解していた。孤児である少年の気持ちに共感し、必要なものを与えることができたのだ。一方のクラークは、故郷の世界を失ったカーラが抱えるトラウマを理解できなかった。誤解してほしくないのは、これは決してスーパーマンのせいではないということだ。カーラとは違う人生を生きてきたので、彼女が本当に必要としていたサポートを孤児院に預ける際に気づけなかったのだ。ちなみに、孤児を引き取るのは、豪邸を持っていて執事がいる大富豪の方がよっぽど簡単だろう。

「Batman/Superman: World’s Finest #7-11」では新たなティーンエイジャーのサイドキック、ボーイ・サンダーが登場する。デヴィッド・ニケラは別の地球からやってきた難民だ。彼が住んでいた世界が滅亡する前に、両親がアースプライムに逃がしたのだ。聞き覚えがある話ではないだろうか。ボーイ・サンダーはスーパーマンのサイドキック、そしてティーン・タイタンズの仮メンバーとなる。

デヴィッドのケースが興味深いのは、彼の面倒を見ることになるのはスーパーマンだが、バットマンも訓練にひと役買うことだ。ここで、2人の指導方法の違いが顕著に現れる。「Batman/Superman: World’s Finest #9」のなかで、「気持ちよりも合理性だ。戦いでは感情を抑えなければ、周りが見えなくなる」と厳しいアドバイスを与えるバットマン。

この助言にデヴィッドが混乱するのも無理はない。スーパーマンから毎回、まっすぐな心を失わないように忠告を受けているからだ。しかし、このセリフがいえるのは、スーパーマンが観衆に応援されながら戦うことが当たり前になっているからだと、バットマンに一蹴されてしまう。

不運にも愛する人たちが殺されるのを目の当たりにし、見知らぬ世界に一人でやって来たデヴィッド。ティーンエイジャーにとっては余りにも酷な状況だ。そして残念なことに、バットマンもスーパーマンも本当の意味で彼を救えるようには見えない。しかし、ある程度似た境遇をカーラは経験している。「Batman/Superman: World’s Finest #8」ではスーパーガールとボーイ・サンダーが、生存者が犠牲者に対して感じる罪悪感と向き合うことの難しさについて言葉を交わす場面がある。

地球に来たばかりのカーラが当時、この感情とどのように向き合っていたかが会話のなかで明らかにされている。「心の奥底にしまい込んだわ。だって常に冷静さを失わないカルのようになりたかったから」。

私が以前に仮定した通り、カーラの心が傷ついていたことをスーパーマンは知らなかったのだろう。もし、彼女の苦悩に気づけてさえいれば、乗り越えるための助けを惜しまなかっただろうし、彼女の正直な気持ちを打ち明けてほしいと思ったはずだ。

これこそがバットマンとスーパーマンの指導者としての違いなのだろう。スーパーマンは人を思いやる心はあるが、本人も気づかないまま、物事の本質を見逃してしまう。一方でバットマンは、若いパートナーの苦悩に気づいてはいるが、皮肉屋であるため不適切なアドバイスをしてしまう。これがデヴィッドにどのような影響を及ぼすのだろうか。「Batman/Superman: World’s Finest#11」を読み終えれば、その答えが分かるだろう。

結果的に私は問いかけるべき質問を間違えていたのだろう。バットマンもスーパーマンも素晴らしい指導者なのだ。どちらか一方が優れているわけではなく、互いに違う要素をもっているだけだ。どんなティーンエイジャーも、それぞれの状況に合った特別なアドバイスを受けることが大切なのであって、決して共通した指導法があるわけではない。ナイトウィングやスーパーガール、スーパーマン(ジョン・ケント)、スーパーボーイ、ロビンを含む多くの例をみれば明らかなことだろう。そう、両者とも欠点はあるものの、バットマンとスーパーマンはワールズ・ファイネスト(世界最高)の指導者なのだ。

ライター:ジョシュア・ラパイン・ベルトーネ
Xアカウント(英語のみ): @TBUJosh

注意:この記事で語られた見解や意見はあくまでもジョシュア・ラパイン・ベルトーネ個人によるもので、必ずしもDCエンターテイメントやワーナー・ブラザースの見解と一致するものではありません。また今後のDCの見通しを保証、または否定するものではありません。