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テレビの真実:ゴッサムのテレビが伝えるバットマン

バットマンは80年以上たった今もなお私たちの心をとらえて離さない。その魅力のひとつは彼が持つ矛盾にある。DCトリニティ(バットマン、スーパーマン、ワンダーウーマン)のなかでも、バットマンは唯一の人間であるうえ、唯一スーパーパワーを持たないヒーローである。スーツを着た生身の人間でありながら、ゴッサム・シティで伝説となる野獣のような力強さを持ち合わせている。今まで数多くのコミックや映画のなかで描かれているとおり、彼と敵対する悪党にとって、バットマンは人間ではなく恐ろしい巨大な生き物なのだ。

この現実と非現実の間に漂う緊張感が、まさにバットマンを謎めいた魅力あるキャラクターに仕立てているのだ。

マット・リーヴス監督の『THE BATMAN -ザ・バットマン-』は、主人公バットマンのこのアイデンティティに焦点を当てている。若く、未熟なダークナイトを描いており、彼のゴッサム・シティにおける知名度はそれほど高くない。彼はテレビのニュースで何度か話題になり、ある時は、都市再開発計画の失敗をめぐる論争の的になる。この映画は、テレビニュースを利用して、ゴッサム・シティの抱える緊張や不和を漂わせているのだ。これは、マット・リーヴスが持つバットマンの世界観の核となっており、彼が親しんできたコミックブック、特に『ダークナイト・リターンズ』の歴史に基づいている。

フランク・ミラー、クラウス・ジャンソン、リン・ヴァーリイによる『ダークナイト・リターンズ』では、テレビがゴッサム市民の心理、そしてバットマンが抱える孤独を覗き見る窓の役目を果たしている。舞台は、ブルース・ウェインがバットマンを引退してから10年後のゴッサム。街には暴力がはびこり、ブルースは再びバットスーツを着ることを強いられるのだ。『THE BATMAN-ザ・バットマン-』のように『ダークナイト・リターンズ』でも、暴力で荒れる街を自らのテレビが映し出す。このコミックには、テレビの形をした小さなコマがちりばめられ、ニュースキャスターが最新情報を語るスタイルが取られている。

『ダークナイト・リターンズ』では、頻繁に登場するこのテレビが、まさにナレーションとしての役割を担っている。バットマンが正式にゴッサムに戻ると、彼のやり方である自警活動の是非について討論が勃発する。物語が展開するにつれてテレビの存在感は増していき、新たなロビンのキャリー・ケリーの登場とともに、各専門家たちがバットマンについて意見を述べ始める。そしてこの論争は、バットマンが活動を再開するのかという心理的な予想から、バットマンは果たして本当に社会の助けになるのかという、より大きな議論へと発展していく。

『ダークナイト・リターンズ』は、単なるバットマンの物語ではなく、ゴッサムが暴力の街であるという不愉快な真実をどう正当化していくかの物語だ 。この着想はテレビを利用することで実にうまく表現されている。コミックのなかでテレビニュースにゴッサムの街を語らせるのだ。ジョーカーから警察本部長のゴードン、そして読者までもが、ニュースを通してゴッサムの現状を知ることになる。こうして、ニュースで流れる暴力がゴッサムの象徴となり、読者に真の姿をさらけ出していく。『ダークナイト・リターンズ』第1話の2ページ目で、読者は近未来のゴッサムの姿を初めて目にする。ニュースキャスターが、近頃の多発する犯罪について詳細を伝える前に「熱波がゴッサム・シティにおける暴力行為に影響を及ぼしている」とコメントする。小さなテレビの形をしたコマが伝えるさまざまな凶悪犯罪のニュースは、この後に描かれるゴッサムが生み出す巨大な社会不安の序章に過ぎない。そして最新の凄惨な殺人事件が1つのコマで伝えられ、次のコマではさらに緊迫した情報が明らかにされる。

逆に、『THE BATMAN -ザ・バットマン-』はテレビをゴッサムの闇を暴く手段として利用している。映画のなかのニュース番組が、バットマンと観客の両方に、トーマス・ウェインが市長選の最中にカーマイン・ファルコーネのような犯罪者とどのように癒着していたかを暴露する。これが、ヴィランのリドラーが、ほぼニュースのなかで流れるビデオ映像でしか見られない理由だ。リドラーの究極の目的は、ゴッサムの権力者たちの腐敗を暴くことであり、権力を持たない名もなき人間がその目的を果たすうえで、マスコミをうまく利用している。

しかしながら、『THE BATMAN -ザ・バットマン-』と『バットマン・リターンズ』に共通した部分もある。それは、マントをまとった救世主の孤独を映し出すためにテレビを利用している点だ。公的に著名な人物と、覆面の自警団というブルース・ウェインの人生は、コミックにおいても映画においても、ニュースに取り上げられる運命にある。『THE BATMAN-ザ・バットマン-』の序盤には、両親の命日を祝う番組をブルースが見ているシーンがある。また、『ダークナイト・リターンズ』は、ブルースがレーシングカーでクラッシュするシーンで始まる。ニュースキャスターはブルースの命に別状がないことだけを伝え、「この悪天候のなかでスポーツをしようなんて考える人がいるとは驚きだ」といったコメントをする。

どちらのケースも、ブルースが話題に上っているにも関わらず、彼と社会の間に距離があることを感じさせる。

突き詰めていくと、こうした孤独感もバットマンに魅力を与えている1つの要素といえる。たとえ社会から疎外されても、彼はゴッサムを守るために献身的に全力を尽くす。自らが心に傷を負った経験から人々が感じる不安に深く感情移入し、ゴッサムがどれだけ暴力に満ちあふれようとも、たとえマスコミに目の敵にされようとも、バットマンは他人のために優しくあり続けるのだ。

ライター:ジュール・チン・グリーン
Xアカウント(英語のみ): @JulesChinGreene

注釈:この特集で述べられている見解や意見はジュール・チン・グリーン個人のもので、必ずしもDCエンターテインメント及びワーナー ブラザースの見解を反映するものではありません。また今後のDCの見通しを保証または否定するものでもありません。