『アメリカン・スナイパー』『ハドソン川の奇跡』『15時17分、パリ行き』そして、監督・主演を務めた『運び屋』など、リアルヒーローの真実を巧みに描いてきた巨匠クリント・イーストウッド監督は40作目となる本作でも実話に挑んでいる。2010年代以降のイーストウッド監督作で映画『リチャード・ジュエル』が一番好きだという映画評論家・松崎健夫氏が監督が手掛けた作品や俳優時代の代表作『ダーティハリー』に共通するテーマから本作で描きたかったことを紐解きます。
2010年代以降のクリント・イーストウッド監督作品は、『ヒア アフター』(10)、『アメリカン・スナイパー』(14)、『運び屋』(18)など、全ての作品で実際の出来事をモチーフにしているという特徴がある。『リチャード・ジュエル』(19) もまた、1996年にアメリカで起こった「アトランタ爆破テロ事件」という実話が基になっている。警備員だったリチャード・ジュエルの勇気ある行動によってテロの被害を抑えられたことから、彼は一躍アメリカの英雄に。だが一転、自作自演を疑われたことで、彼は事件の容疑者となってしまうのだ。加熱する報道合戦により、世間の偏見や誹謗中傷を導く様態。それは、インターネットが一般的ではなかった時代であるにも関わらず、現代に繋がる社会問題を感じさせてゆくのだ。
クリント・イーストウッドは、主人公のリチャードをあえて正統派の正義漢だと描いていない点がこの映画の特徴。彼には多少の自己顕示欲と、従順がゆえに周囲に翻弄されるような危うさがあり、むしろ大衆の疑念を抱かせるような人物であると忌憚なく描いている。彼は「灰色の存在」なのだ。それゆえ、役者としてはまだ色がついていないポール・ウォルター・ハウザーにリチャードを演じさせることで、観客にとって白黒をつけがたい灰色の存在と化すようなキャスティングが意図されている。一方で、彼を支える弁護士役にサム・ロックウェル を、母親役にキャシー・ベイツというふたりのアカデミー賞®俳優を配することで、 役者に対するイメージという対比を生んでいる。よってふたりの演技が、限りなく観客の感覚に近い、灰色ではない「正義」や「善悪」を代弁させていることも窺わせる。
また、この映画は、リチャードのように「人は法律を超えて正義を行えるの か?」ということも問いかけている。この「超法規的な正義」という考え方は、俳優時代のクリント・イーストウッドの代表作『ダーティハリー』(71)でも描かれていたもの。イーストウッド演じるハリー・キャラハン刑事は、被害者を助けるためなら法律を破ってでも犯罪者の検挙を優先するというキャラクターだった。この「法律を超えた人助け」という考え方は、近年のイーストウッド監督作に共通するテーマでもある。
例えば、国家安全運輸局の規則よりも人命を優先したパイロットの行動を描いた『ハドソン川の奇跡』(16)や、旅行中の青年たちがテロの犯人を勇敢に取り押さえる姿を描いた『15時17分、パリ行き』(18)。彼らが「法律を超えた人助け」をすることで、ハリー・キャラハン刑事による正義の鉄槌と同様の白黒つけがたい灰色の「社会正義」に対する是非を、我々に問うているのだ。
自身が役者として演じたキャラハン刑事の持つ精神を、イーストウッドは監督として演出に専念する側となってからも、自身の手によって継承させ続けている点は見逃せない。そういう意味で『リチャード・ジュエル』は、2010年代以降のクリント・イーストウッド監督作品の要素が盛り込まれた重要 作品なのである。
TEXT:映画評論家 松崎健夫