「ハリー・ポッター」シリーズが初めてリリースされたとき、当時の多くの子供たちはハリーとともに成長しながら物語を読み進めました。しかし、そんな彼らが大人になった今、このシリーズを読み返したとしたらどうなるのでしょうか?
おそらく、初めて読んだときには気づかなかったあらゆる細部に気づくことでしょう(例えばですが、スリザリンのロケットは『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』のなかで登場していました!また、シリウス・ブラックは『ハリー・ポッターと賢者の石』で名前が既に出てきていたのです!)。他にも、子供の視点では気づけなかったような、大人ならではの気になるポイントもたくさんあるでしょう。今回は大人目線で初めて気づくさまざまなことを見ていきましょう。
ロンとハーマイオニーの初めてのキスが、最終学年のホグワーツの戦いだったのにはやきもきしました。もちろん、ヴォルデモート卿のような「些細な問題」によって邪魔が入ったというのもありますが、これほど遅くなってしまったのは、やはりロンのせいだったといえるでしょう。
『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』のクリスマスのダンスパーティーのとき、ロンはハーマイオニーをデートに誘い出すチャンスがありました。しかし、せっかくのチャンスを次のセリフで台無しにしてしまったのでした。「僕たち、パートナーが必要なんだ。ほかの子は全部いるのに、僕たちだけだれもいなかったら、ほんとにまぬけに見えるじゃないか......」結局ハーマイオニーは三大魔法学校対抗試合の代表選手であるビクトール・クラムをデート相手としてゲットし、それを知ったロンは一晩中はらわたが煮えくり返ったのでした。しかし、この話はここで終わりません。その後、ハーマイオニーがロンをスラグ・クラブのクリスマスパーティーに誘った際、彼はそのチャンスすらも台無しにしたのです。ロンはハーマイオニーの代わりにラベンダー・ブラウンを誘い出し、ハーマイオニーをさらに悲しませたのでした。
それに加えてロンはハーマイオニーに対し皮肉なことをしょっちゅう言い、彼女が大切に思っているもの(S.P.E.W.など)をバカにしたり、子供っぽい言動をしたりしていたのです。だから、『確実に魔女を惹きつける十二の法則』という本を読んでしまうのも無理はありませんね。
確かにハリーはさまざまなことを考えなければならない問題を抱えていたかもしれません。しかし、彼の思春期の男子学生らしい振る舞いのなかには、言い訳もできないくらいひどいものもたくさんありました。それがとりわけ目立ったのは、『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』での出来事です。彼が友人たちに怒鳴り散らしていない瞬間があったかと思えば、そういうときは新しい彼女であるチョウ・チャン――三大魔法学校対抗試合代表選手セドリック・ディゴリーの「元カノ」――を悲しませていました。
初めての彼女ができた10代の少年というだけでも大変なのに、チョウはしょっちゅう「元カレ」であるセドリックの死を思い出しては泣いていました。そして、それに対するハリーのあまりにぎこちない対応――話題を変えようとすることなど――は彼女を一層悲しませるだけでした。しかも、チョウとのホグスミードでのデート中にハーマイオニーを誘うような失態まで犯したのです。もう、ハリーったら!
子供の頃、本を読んでいたときの屋敷しもべ妖精たちの印象を思い出してみてください。可愛らしく、少し風変わりだけど、ハリーたちを助けてくれる存在、といったところではないでしょうか。しかし、大人になって振り返ってみると、彼らがいかに辛い生き方を強いられていたのかが分かるようになってきます。
しもべとして自由を奪われ、主(あるじ)に逆らわなければならない状況になるとひどい仕打ちを受けるものたち...。実年齢よりも大人びた考えを持っていたハーマイオニーはS.P.E.W.活動について周りから嘲笑されることもありました。しかし、今となっては、彼女の当時の行動はやはり賢いものだったことが分かります。
どう考えても私たちが使っている一般的なボールペンのほうが簡単に字を書けますよね?それに、ロウソクよりも電気のほうが明るいだろうし。あと、なぜインターネットも使わなかったのでしょうか。
『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』のなかでは、洗練されたクィディッチ・スターかつ三大魔法学校対抗試合の代表選手であるビクトール・クラムはハーマイオニーのことしか眼中にありませんでした。これは大変ロマンチックで素敵ではありましたが、ちょっと気になるところがありました。対抗試合の2つ目の課題では、クラムの「大切なもの」としてハーマイオニーが人質になり、クラムは彼女を助けるべく、ためらうことなく水中へ飛び込みましたよね。
ただ、そのとき同じように、各選手の「大切なもの」として連れ去られた生徒を見てみましょう。フラーの妹と、ロン――ハリーの4年来の親友――、さらに、セドリックの彼女であるチョウも同様に人質になりました。各選手との関係性から、彼らが連れ去られるのには納得がいきます。しかし、ハーマイオニーはどうでしょう。このとき、クラムとハーマイオニーは出会ってからそれほど日が経っていませんでした。そんな彼女が選ばれるなんて、まるで初デートで「愛している」と言うようなものじゃないでしょうか。
私たちが初めてこの賢く、心温かいダンブルドア先生と出逢ったとき、まさかこの人の人生がシャーベット・レモンのような楽しい思い出ばかりではないとは思いもしなかったことでしょう。
時が経つにつれ、私たちはダンブルドアが実際にどれほどの重荷を抱えていたのかを知ることになります。ハリーの運命についての予言や、彼自身の子供時代の悲しい思い出など、ダンブルドアはあらゆるものを抱えていました。まだ11歳の幼いハリーが、生まれて初めてヴォルデモートと対峙したあと、なぜこのおそろしい魔法使いが自分のことをこれほど嫌っているのかという質問をされたとき、それをはぐらかそうとしたダンブルドアの気持ちを考えてみてください。また、みぞの鏡を覗き込んだとき、本当は自分の家族が全員生き返っている幸せな姿を見たのに、ハリーには靴下が1組見えたと嘘をついたときの気持ちも。
ホグワーツ魔法学校に入学する魔法使いや魔女たちは、あるものを別のものに変身させる力や、空の飛び方、闇の魔法と戦う力などを教えてもらえるのに加えて、もうひとつラッキーなことがありました。そう、数学の授業がなかったのです。もう一度繰り返しますね。数学――私たちマグルにとって最も嫌な科目といっても過言ではないあの科目――を学ぶ必要が、なかったのです。
まあ、確かに数占い学はありました。これはハーマイオニーが他の科目と共に学んでいたもので、数学に似ていたといえるかもしれません。しかし、それでもこの科目はどちらかというと数字の持つ魔法で未来を予想する学問であり、例えば、連立方程式なんかと比べたら、やっぱり楽しそうですよね。人生って不公平です...。
私たちが子供の頃、吸魂鬼はマントを被ったその見た目からとても恐ろしい存在に思われました。大人になった今、実は吸魂鬼は鬱を表現した存在であるということをJ.K.ローリングがインタビューで話していたことを知ったうえで見てみると、その恐ろしさが一層際立つのではないでしょうか。
吸魂鬼の正体が鬱であると知ったうえで見てみると、その描写がさらにおぞましいものに感じられます。とりわけ、『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』において、ハリーが他の生徒よりも大きく吸魂鬼の影響を受けてしまっている理由を、自分が「弱い」からだと恐れていたことがよい例でしょう。
ハリーはちょっと迷ったが、がまんできずに質問が、思わず口から飛び出した。
「いったいどうして? どうして吸魂鬼は僕だけにあんなふうに? 僕がただ――?」
「弱いかどうかとはまったく関係ない」
ルーピン先生はまるでハリーの心を見透かしたかのようにビシッと言った。
「吸魂鬼がほかの誰よりも君に影響するのは、君の過去に、誰も経験したことがない恐怖があるからだ」
『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』
一部の闇の魔法使いたちによるマグルへのひどい態度の数々は、子供ながらに読んでいて辛いものがありましたが、実際、世の中にあふれているさまざまな偏見を目の当たりにしながら成長するにつれ、ヴォルデモートがいようがいまいが、世界は暗いものになりうるのだということを学びました。
J.K.ローリングが魔法使いと人間、さらには純血とマグルの間にある溝を扱ったことで、私たちは、彼女がこの社会で大切にすべきものを教えてくれたこと、そして優しさと寛容さを持った世代を生み出していることに気づくことができました。